人の優しさはくしゃみの大きさで測れる
僕はくしゃみの音が小さいほうです。
一般的なくしゃみの音が「へっくしゅん!」だとすると、僕のくしゃみは「くちゅんっ」といった具合です。小鳥のさえずりのようですね。
それは元来の大きさというわけではなくて、「あ、これくしゃみでそうだな」と思った瞬間に音量を抑えているわけです。
だって、家ならともかく、公共の場で大きなくしゃみをすると、周りに迷惑をかけちゃうかもでしょ?
しかし電車に乗っていたり、大学の講義室にいると、ときたま、くしゃみの音がものすごく大きい人がいます。
「ぶえっくしゅん! オーライ!!!」
場は一瞬、静まり返ります。
そして周りの人々はその発生源に目を向けます。
けれど、その発生源の人は何でもない表情をしていることが多い。
そんな光景を目にするたびに、僕は思うわけです。
え? なに、ここで大声コンテストしてんの?
唾のしぶきをどこまで飛ばせるとか?
じゃないとしたら、なんでこんな大声でくしゃみすんの? くしゃみを自己表現の場とでも履き違えてるの?
そういう人たちって、きっと、毎日を楽しく生きている人だと思います。だって他人に気を遣うってことを知らないから。
世の中は、わがままに生きる人には生きやすい。
反面、電車でくしゃみをするとき、「ここで大声を出したら迷惑がかかるな……」と抑えながらするような人には生きずらい。
僕は声を殺してくしゃみをする人を見たとき「あ、この人とは仲良くなれそうだな」とほほえましい気持ちになります。
こういう人は場の空気を読めて、女性に道路側を歩かせないようにして、スーパーの駐輪場でドミノ倒しをしてしまったおばあちゃんと目があったら、面倒くさいなと思いつつも手伝ってあげるんだろうな、と。
逆にこれでもかというほど大声でくしゃみをする人を見たとき、「この人とは仲良くなれなさそうだな」と思います。
こういう人は場の空気が読めないで、家では娘がいても平気で屁をこくし、道にガムやたばこは捨てるし、学生時代のクラス内カーストでいえば、中位から上にはいただろうなと。
僕はくしゃみを大声でする人を見るたびに、「なんでこいつらはこんなに気持ちよさそうにくしゃみをするんだ。こっちは嫌な思いをする一方なのに。よし、今度自分がくしゃみをするときには思いっきり音を出してやるぞ! 他の人の目なんて気にせずに自由きままにやってやるぞ!」と決意します。
けれど実際、鼻がむずむずしてきて、いざくしゃみが出る、という段階になると反射的に口元に手をあて、お腹に力を入れて、「くちゅんっ」と音を殺してしまいます。
僕は自由にはなれない。どうしたって人の目を気にしてしまう。
くしゃみを自分勝手にする人は、嫌いです。
でも同時に僕は、そんな人にあこがれているのです。
彼らのように自由に、無神経に、何にも縛られずに生きていきたいと。
そう願いながら今日も、僕は「くちゅんっ」と小さな声を洩らすのです。